心が折れそうな時は「捉え方の転換」をする

 

心が折れそうな時は、

まず、

すでに「折れている」ことを自覚して、

「受け入れる」ことから始めましょう。

 

 

 

心が折れた時の過ごし方と対応法

育児、仕事、人間関係、恋愛、家族、

私たちは毎日、色々な関わりの中で、色々な人たちと時間や経験を共有しています。

心が折れてしまいそうになる時、

もしくは、もうすでにポキポキ何度も折れているよという時、

そんな時には、まず思いっきり「折れている自分」「折れまくっている自分」を受け入れてあげましょう。

 

そして、無理に「元気を出そう」とか、「ポジティヴに行こう」など、抵抗するのは止めて、どっぷりと落ち込んだ気分を味わって下さい。

自分の本心である感情に蓋をすると、必ず後から反動がきます。倍返しでくるので気をつけましょう。(「倍返しだ~!」by半沢直樹 (; ・`д・´) )

 

「無理に明るくする」のと、

「前向き」は違います。

この段階でやってしまうと「無理に明るく」になるので、早まらずに落ち込みコースをお楽しみ下さい。受け入れた後々の段階で「前向き」がやってきますので、ご安心下さいませ。

 

どっぷりと落ち込みコースを満喫して、そろそろ落ち込むのにも飽きてきたなぁ…(‘_’)と感じたら、次の段階へ進みます。

「折れた自分」を受け入れたあとに

「折れる原因になった出来事・人・モノ」を思い返し、それも受け入れてあげましょう

 

心が折れた時の対応法の第一段階として、①②の「自己受容」をすることがとっても大事になってきます。

 

 

大前提の「自己受容」

折れる原因を思い返すと、必ずそこには出来事や人・またはモノといった「相手」や「対象」が存在しています。この時に、人間の性(さが)として無意識的に行ってしまうのが、「対象」と「自分」を比べてしまうことです。そして次に行うのが、「対象を批難したり、責める言動」または反対に自分がダメなんだ…と責める「自己否定」です。

 

「自分」と「自分以外のもの」(「対象」)は、顔のつくりや形が十人十色違うように、生まれ持った性格や気質・価値観が違くて当然なのです。であるにも関わらず、「自分」と「対象」を比べることによって、怒りや嫉妬、自己否定や自己嫌悪など、本来必要のない感情を自らで生みだしてしまうのが私たち人間なのです。

誰一人、良いも悪いも言っていないし、世間一般で考えられている常識という「固定概念」が邪魔をして、自分で自分の首を絞めていることに気がついていないのです。人間て好きなんです、そういうの。悲劇のヒロインぶって、自分の手でドラマティックに人生を仕上げたがろうとするの。

 

「自己受容」とは、自分自身が持って生まれた性質や性格を活かすための技術です。この「自己受容」の技術を知らないと、人間は本能的に社会に適応しようとするため、自分自身の性質や性格を無理に間違った方向へ変えようとします。これを「自己破壊」と言います。

 

スピリチュアル界でよく耳にするのが、

「宿命」が➡材料で

「運命」が➡調理法である

●「宿命」とは、生まれた国・時代・性別・顔・肌の色・両親や兄弟など、自分の努力では変えられないもの。

●「運命」とは、出会う人々や出来事、自分の人生の方向性など、自分の努力次第で変えられるもの。

 

 

 

野菜の大根に生まれたのが「宿命」であれば、それをどう調理するかが「運命」。ありのままの私を愛してと不躾に言っても、土にまみれたままの大根じゃ誰も見向きもしない。水で綺麗に洗って、煮るなり焼いたりひと手間かけて「おでん」や「豚汁」として仕上がる。そこで初めて、素材を活かしたことになる。ありのままとは、素材の性質を見極め、その良さを活かすこと。

そんな話を聞いたことがあります。

 

 

 

自分の素材の良さを見極めず、無理に間違った方向へ進むと、最終的には必ず「歪み」が生じて、精神的に疲れ果ててしまいます。それは本来生まれ持った素材の性質(スピリット)と必死にもがいている方法が噛み合わないため、ズレや違和感として現れてくるのです。

大根がチョコレートケーキとして調理されたらどうでしょうか?水分が多いためケーキのスポンジは水っぽく仕上がり、シャキシャキという触感は生クリームとの相性が最悪。果たして、大根ケーキを買うお客様はいるのでしょうか…。

人付き合いでも同様に、本来の自分の性格を無理に変えて「繕った自分」でいると、徐々に人付き合いが苦痛になってきますよね。このように自分を抑えて、我慢し過ぎると自己破壊へ繋がってしまうのです。

 

自分自身が持って生まれた性質や性格も同様に、「宿命」とも言えるかもしれません。自分に与えられたものを活かして、どう人生を生きるかが大切であり、その大前提として「自己受容」の技術が必要になってくるのです。

 

そして「自己受容」で大切なことは、力まずに「自分の体験には何か意味があるのでは」と問うことです。また意味が解ったとしても、自分が年を重ねるごとにその意味の受け止め方や解釈が変化していきます。自分の経験値が上がっていくため、他人の心情をより深く知ることができるようになったり、「あの頃の自分」をより客観的に見ることができるようにからです。

「学生時代、なんであんなことしちゃったんだろう~」って、恥ずかしく感じた経験はありませんか?(;’∀’)

 

 

体験の意味が解ったという「結果」が大切なのではなくて、「自分の体験には、自分の人生を成長させるための意味がある」ということを問い考える「態度や姿勢」が「自己受容」そのものであり、その働きかけにこそ価値があります。

 

 

「再生能力」再び立ち上がるために

私たち人間には、「再生能力」があります。心が折れて落ち込んでも、再び自分の足で立ち上がっていける力が備わっているのです。

 

再生能力を発揮するには、

①まずは「折れた自分」を受け入れる

②そして「自己受容」

③最後にくるのは、「捉え方を変える」ことです

 

「自己受容」をしていく中で、誰しも共通して見えてくるのもがあります。それは、必ずそこに「自我」が存在している事実。

「自我」があるが故に、上手くいかないこと、思い通りにならないことが発生してくるのです。そして積み重なると、心が折れる…。

 

自分の思い通りにならないことに出会った場合は、「自我」に捉われていることに気づく必要があります。「自分は正しい、間違っていない」という強い自我に集中してしまうと偏った価値観に陥りやすくなり、その偏りが自分の可能性や行動範囲を狭めて、結果的には精神的な生きずらさをもたらします。

つまり、心がおれて落ち込んだままの状態から抜け出せなくなるのです。

以前のブログでお話した「執着」を手放すことに近いかもしれません。

 

※まだご覧になっていない方は、こちらからどうぞ。↓

「手放す」することで自分が解放される

 

 

仏教を広めた釈迦は「幸せになるには注意することだ」と言葉を残しており、それは自我の働きに注意して、他のものも受け入れようと働きかけることが大切であると説いています。

私たち人間は、自分が正しいという反応をすぐに起こしてしまいがちですが、自分の正しさは相手には通用しないということを知っておく必要があります。

 

物事がうまく進まずに悩む時、または人間関係で悩む時は、自分の中にある「捨てるべき価値観」を捨てる機会なのです。

 

 

そして、対象は変わらなくても、自分の捉え方や視点を変えるのです。

心が折れてしまった「出来事」から、自分に対して何のメッセージがあったのか?

もう一度問い直して、「心の眼」「審美眼」で視るように意識を変えて行くと、必ず視えてくるものがあります。

・自分のやり方が適していなかった

・自分の価値観が偏っていた

・そもそもお互いの価値観が違うので相撲を取る土俵ではなかった

 

…いろいろな「応え」が、ポコポコとふとした瞬間に頭に湧き上がってくると思います。

問うてから、「応え」が湧き上がってくるまでに、時差があるのが特徴です。

なので、何日後かに、ふと、歯を磨いている時、車の運転をしている時、洗濯ものをたたんでいる時、出かけようとカバンを取った瞬間かもしれません。

 

 

「捉え方の転換」ができるようになると、自分の気持ちが楽になります。そしてそれこそが、再び立ち上がるのに必要なエッセンスになるのです。

 

 

 

 

 

 

 

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