感情の起伏は、良いもの?悪いもの?

 

誰にでもある「感情」

感情の起伏は、良いものか?悪いものか?

結論から言うと、良いものです。

もう少し厳密に言うと、必要なものです。

 

 

 

 

感情の起伏はなぜ必要なのか?その役割

「嬉しい」「楽しい」「驚き」「怒り」「悲しみ」「恥ずかしい」

私たち人間は、喜怒哀楽さまざまな感情を毎日感じながら生きています。

嬉しい、悲しいという感情の「センサー」を持つことによって、「単なる出来事」「意味のある経験」として捉えているのです。

 

例えば、「家族が亡くなった」という出来事は、感情があるからこそ自分にとって「悲しみの経験」となります。そして感情というセンサーを通すことによって、家族の死という経験から悲しみだけではなく、

・亡くなった家族の存在の大きさや、かけ替えのない存在であったことを初めて知ったり

・自分は何をしてあげられただろうと改めて振り返る機会になったり

・命は永遠ではなく、限りがあることを知ったり

・残された自分たちが、亡くなった家族の分まで精一杯生きようと自分を奮い立たせたり

1つの「悲しみの経験」からいくつものことを実感し、体感し、気づきや学びを得ていきます。

 

これは、私たちに「感情」があるからこそ、体感できるものなのです。

 

そして、この感情の起伏=「ゆらぎ」

というものは、あって当然、自然、

必要なことです。

 

 

 

「天気」を思い浮かべて下さい。

「晴れ」の日や、「くもり」の日、または「雨」の日があるからこそ、

地球上の植物は根を下ろし、芽を出して、ぐんぐん空へ向かって美しい緑を力いっぱい伸ばしていきます。

 

「晴れ」の日だけでは、カンカン照りになり、大地はやがて干ばつします。

「くもり」の日だけでは、十分に太陽の光を浴びられず植物は育ちません。

「雨」の日だけでは、やがて川が氾濫し洪水が起きて大地は流されてしまいます。

「晴れ」「くもり」「雨」、それぞれに役割があり、天気のゆらぎがあるからこそ、美しい海洋の蒼さと、美しい大地の緑で覆われている地球は成り立っているのです。

 

その地球から生まれた私たち人間も同じで、「嬉しかったり」「心が浮かなかったり」「悲しくて泣く」日もあるからこそ、人間の命は成り立っています。

 

感情の起伏「ゆらぎ」があるからこそ、

人間として成長、

発展していくのです。

 

 

 

 

感情の起伏を抑えてしまうと、どのような弊害が起こるのか

感情の起伏を抑えてしまうと、歪みが生じて

・切れやすい

・苛立ち、イライラしやすい

・落ち込みやすい

・自分はダメな人間だと異常な自己否定をしやすい

・鬱になりやすい

・人とのコミュニケーションが苦痛になる、または拒む

などの症状が現れてきます。

 

このように、必ず「反動」として自覚症状の有り無しに関わらず起こってきます。自覚症状があればいいのですが、ない場合は周りの人が気づいた時点で声がけできると理想です。しかし、そうでない場合もあります。

長年、感情の起伏=ゆらぎを抑えてしまうと、その分精神的な負担が大きく積み重なり修復するのに時間がかかります。

 

みんな誰しも、それぞれの生まれた環境で、それぞれの家庭状況で、毎日の生活を営んでいるので一概に言うのは難しいものです。しかし、もし自分の家族や友人、仕事で付き合いのある人に違和感や胸騒ぎを感じたら「声掛け」をしてみるのも一つです。

本人が話をしたいと望むのであれば、口を開いてくれるであろうし。望まないのであれば、そのまま見守って、本当に必要になった時に話をしてくれる場合もあります。

 

または、自分本人がその自覚があるのならば、一度立ち止まって向き合うことをおすすめします。まずは、感情の起伏=ゆらぎは良いものだと自分で受け入れることです。そこから始まります。次の章で詳しい実践方法をお伝えしますので、ぜひ取り入れてみて下さい。

 

 

 

健全な感情であるために、コントロールが必要

これまで、感情の起伏=ゆらぎは良いものとお伝えしてきましたが、

良いといっても、ある程度、自分でコントロールすることは必要になってきます。

 

また、天気の例を挙げてみましょう。

わかりやすいように自然災害も加えていきます。

「雨」や「くもり」の日があってもいい。多少「風が強い」日があってもいいでしょう。風は植物の種を運んでくれます。もっと遠くまで運んで新たな土地で芽を出し、さらなる繁栄の手助けをしてくれます。

 

しかし、「台風」や「竜巻」または「地震」や「津波」といったものはいかがでしょうか。限度を超えてしまうと、大地を潤す恵みではなく、破壊を招く凶器に変わってしまいます。

植物や動物の生態系だけではなく、私たち人間の住む家や食べるもの、時には命までもを脅かす大災害へと変貌するのです。

 

感情の起伏=ゆらぎは良いもの

そうお伝えしました。しかし、限度を超える「怒り」や「悲しみ」「妬み嫉み」は、人間関係を壊したり、自分の成長を阻害する自己否定や自己嫌悪を生みだします。

 

地震や津波、未曽有の災害と言われた出来事があって、改めて人間は「命の尊さ」や毎日の暮らしが当たり前ではない「かけ替えのないもの」だと気づかされます。破壊を招く出来事から大きなダメージを受けた分、そのメッセージ性も強大なものになります。

ここまでしないと気づくことができなかった、という事実。

 

しかしここでお伝えしたいのは、

それが、良い悪いではなく、

私たちにはその前にできることがある、と言うこと。

 

自分で感情の起伏=ゆらぎの「適正量」を見極めて調整する必要がある

のです。

 

 

何でもかんでも感情的になって良い、ということではなく

感情の起伏=ゆらぎがあるのが悪い、ということでもなく

 

「怒り」や「悲しみ」を感じたら、

必要以上にその感情に浸り過ぎないこと。

必要以上にその感情に振り回され過ぎないこと。

 

自分の足で立ち上がれる「勇気」と「たおやかな強さ」を持つことが大事だということです。

 

 

 

そう言葉だけで言われても、自分で経験しないと解りません。

なので、ちょっと怒り過ぎてるかな自分

とか

ちょっと、落ち込みすぎてるかな自分

と思ったら

 

自分の気持ちを、

感情を、

1ミリでも上げてみるように

1ミリでも解放できるように

工夫するのです。

 

※以前のブログで解放の仕方をお伝えしているので、よろしければ併せてご覧ください。

➡ 「手放す」ことで自分が解放される

 

 

好きなものを見る、好きなものに触れる、好きなものを食べる、好きな人に会う。直感で頭に浮かんだものを、どんどん試して行きます。

直感にこそ自分の本心が隠されています。

 

 

すぐにできなくても、少しずつでいいです。

自分でコントロールができるように練習して行くのです。

 

 

1歩進んで、2歩下がる。

 

そんな歌があるように、出来ない自分と向き合って、

1ミリずつ、

紙切れ1枚ずつ、

人生は積み上がって行きます。

 

 

自分が、

自分を見放さない

自分を諦めないで

 

誰に見放されても、それは問題じゃありません。

自分で自分を見放さない限り、大丈夫だから。

そういうふうに、人間はできています。

 

 

 

 

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